最初に言ってしまうと、私は「順位をつけない教育」に反対です。
順位をつけない運動会
私の子供達はもうすぐ社会人になりますので、ひと昔前になりますね。子供達が小中学生の時にも話題になりました。最近の事情には疎いのですが、今もそうなのでしょうか? ”かけっこ”をしても順位を決めないとか、”かけっこ”そのものをやらない。つまり競争になるものをやらずに、ダンスや組体操のみの運動会というやつです。
私自身は子供の頃”かけっこ”が全くダメでしたので、当時だったらなんて楽しい運動会なんだ!と思ったのでしょうが、観る側に立つと何が楽しいの? ってのが本音です。
子供達の通った学校は適度に田舎の学校でしたので、それはそれは盛大な運動会。当たり前のように前日から観覧席の場所取り合戦が始まります。徒競走や騎馬戦(ゴリゴリの肉弾戦!)なんかは当たり前! 最終種目の学年選抜リレーは親の方が大興奮。1日がかりで大変でしたが、良い思い出になる運動会でした。
順位をつけない教育のメリットとデメリット
この話は賛否両論、色々な意見がありますよね。主なメリットとデメリットは以下のようになるのでしょうか。
- ①協調性の育成
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競争することよりも協力することを重視。チームワークを学ぶ。他人との比較ではなく、個人の成長とチーム共通の目標達成に焦点を当てる。
- ②自己肯定感の向上
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順位付けがないので、劣等感や失敗の恐怖から解放される。精神的にも健全。順位が低い子供にとっては、自分を認めてもらえる機会が増える。
- ③多様性の尊重
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子供ごとに異なる才能や興味が尊重され、自己表現できる環境が形成される。失敗を恐れることなく、色々なことに挑戦することができる。
- ①競争心の欠如
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挑戦を避け、挑戦する意欲や競争心が育たなくなる。競争することで学べること、他者に勝つために努力をする姿勢が欠けてしまう。
- ②自己評価ができなくなる
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順位付けがないため、自分の現在地や成績を客観的に捉えることができなくなる。他者との比較を通じて得ることのできる成長機会が減少する。
- ③成果主義の欠如
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順位をつけないことで、努力して報われる実感を得ることができなくなる。勉強や部活動などに対するモチベーションが低下する恐れがある。
ガチの勝負はやっぱりいい
運動会の話に戻りますが、子供達が全力で競技をする姿はやっぱり観ていて楽しいし、感情移入しますよね。そこにあるのは”ガチ”であること。ヘラヘラしながら競技をしていたら、ちっとも感動しません。勝ちたいと思う気持ちのぶつかり合いだから、観ている人は感動できるんです。
子供達は部活動でバスケットボールをやっていたのですが、他校の試合を観ていた時の話。全国大会を目指す超強豪校、一方は部活動なのだから皆で楽しくやろうよ!というチームの対戦です。200何点対10何点のゲームでした。バスケの得点ボードって199点までなんですよね。200点になると一周して0点になってしまいます。それだけの圧倒的大差でした。
楽しくやっているチームは生徒の上手い下手関係なく全員出場です。点差はあまり気にしていません。かたや強豪校は実力主義。上手くない子は出場できません。そして大差がついても一切容赦をしませんでした。
強豪校の先生は大したものです。相手がどうであれ、自分たちの全力をぶつけることを子供達に教える。そして子供達もそれを理解して一切手を抜きませんでした。楽しくスポーツをやる教育方針ももちろんいいのですが、観ていてなんだか切なくなりました。子供達は本当にそれでいいのかと。
負けて何を学ぶか
真剣勝負をすること。その結果、勝ち負けや順位が付くことを学ぶことは、とても重要なことだと思います。
「挫折」を味わう
何事も負けるとやっぱり悔しいです。自分が想定していた順位より低かった場合、悔しさや悲しさを感じます。でもこれで終わっては仕方がないんです。なにも変わりません。
なぜ自分は負けてしまったのか? 良い順位が取れなかったのか? に対して真摯に向き合い自己分析を行うことで、自分の弱点や改善を見つけて成長を促してやることが必要です。
「忍耐力」を鍛える
これだけ頑張った!と思っていても、良い結果に恵まれないことはあります。むしろ半分以上はそういう場合が多いのかもしれません。それは実力だけではカバーできない”運”の要素が付きまとうからです。例えば、金メダル間違いなし!と言われていたアスリートが、格下相手にあっさりと負けてしまったり、ケガをしてしまったり。別に油断をしていたわけではないのでしょうが、色々な”運”的な要素が重なって、結果が負けになってしまうのだと思います。
努力をしても勝てる保証はありません。それでも諦めずに挑戦し続けることを教える必要があるのではないでしょうか。
「謙虚さ」を知る
人間は弱いもので、ずっと良い結果であると慢心してしまうことがあります。要は勘違いですね。「俺って凄いの?」って。でも負けると、そんな気持ちは一瞬にして打ち砕かれます。相手の実力を認めて、自分が劣っていたことを学べる機会に繋がります。そこには負けなければ得られないものがあります。
日本人は競争しなくてはならない
第二次世界大戦での敗戦後、今の日本があるのは、私で言えば祖父祖母の世代の方々がそれこそ”死ぬ気”で働いたからだと私は考えています。感謝してもしきれない想いです。
戦後復興には理不尽な事が沢山あったことだと思います。その中で寝る間も惜しんで、歯を食いしばって、世界との競争に勝ち抜いたから、今我々の世代は平和に生活することができています。
しかし、今の平和な生活を維持するために、我々は競争し続けなくてはなりません。
残念なことに日本は石油や天然ガス、金属などの重要な資源、また食料のほとんどを輸入に頼っています。これらの資源を優先的に確保するためには、日本の持つ技術力を駆使して他国との差別化を図り、資源を買える国であることを維持しなくてはなりません。
日本は戦後、自動車や電気機器、精密機器などの分野で世界をリードしてきましたが、昨今は他国の台頭が激しくなってきました。厳しい現実ですが、今の生活水準を維持するためには、この技術競争に勝ち抜き、国際的な影響力を持ち続ける必要があります。
過去に「2位じゃダメなんですか?」と発言した政治家がいましたが、結果が2位であることは仕方がありませんが、最初から2位を狙ってしまっては、勝ちを得ることは難しいのでは?と思います。
社会に出ると競争ばかり
子供達に、順位付けのない協調性ばかりを重視する教育をしてしまうと、いざ社会に放り出された時に相当な苦労をすることが予想されます。残念なことに社会は競争ばかりの世界です。仕事で言えば、出した成果によって当たり前のように順位付けがされ、もらえる給料も変わってきます。更にその順位付けには理不尽なことも沢山。その中でどうすれば自分が納得できるのかを、もがいていくことこそが、生きていくことなのだと思います。
そういった意味では、子供の頃から人間はみな平等ではなく、勝ち負けや順位付けがあることを教えることが大事だと私は思います。もちろんそこに偏ってはいけないことが前提です。
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